思考主権という言葉に辿り着いたとき、
一つ、整理された感覚があった。
AIに任せるのではなく、
自分で考える。
当たり前のことを、
当たり前として取り戻したような感覚。
それで十分なはずだった。
少なくとも、
その時はそう思っていた。
でも、
どこかに引っかかりが残っていた。
GPTとのやり取りは続いていた。
以前のような違和感は減っていた。
ズレも理解できるようになっていた。
依存することもなくなっていた。
それでも、
何かが、まだ噛み合っていなかった。
言葉は返ってくる。
整理もされる。
思考も進む。
でも、
それは本当に
「自分の思考」なのか。
あるいは、
整えられた何かを、
自分の思考だと認識しているだけなのか。
違和感は、
消えたわけではなかった。
ただ、
一段深く潜っただけだった。
以前は、
「ズレ」として感じていたものが、
今は、
もっと曖昧な形で残っている。
説明はできない。
でも、
確実にある。
その違和感を、
もう一度、
ちゃんと見てみる必要がある気がした。
ここから先は、
単純な使い方の話ではなくなる。
少なくとも、
そういう予感があった。
