ブログを作っていたとき、
一つの前提があった。
「この流れのまま続く」
最初のセッションで作った内容を、
PDFにして、
次のセッションに渡す。
だから、
当然こう思っていた。
「同じ前提で続くはず」
でも、
違った。
明らかに、
噛み合わなかった。
話は繋がっているようで、
微妙にズレていた。
最初は、
気のせいだと思った。
でも、
違和感は消えなかった。
そしてある瞬間、
はっきりした。
「これ、別物じゃないか?」
ここで初めて、
セッションというものを意識した。
GPTの会話は、
基本的にその場限りで完結する。
前のセッションの記憶は、
持ち越されない。
つまり、
毎回“初対面”に近い状態で始まっている。
PDFを渡していたとしても、
それは「情報」として扱われるだけだった。
“同じ流れ”ではない。
ここでズレが起きる。
- 自分は「続き」だと思っている
- GPTは「新しい入力」として扱っている
このズレが、
積み重なっていく。
さらに厄介なのは、
それでも会話は成立してしまうことだった。
それっぽく、
繋がる。
それっぽく、
話が進む。
だから、
気づくのが遅れる。
でも、
どこかで限界が来る。
自分の中の前提と、
出てくる内容が、
無視できないレベルでズレ始める。
そのとき、
違和感は一気に形を持つ。
「これ、おかしい」
ここで初めて、
“会話が繋がっていない”ことに気づく。
さらにもう一つ。
セッションが変わると、
微妙にキャラクターも変わる。
同じようで、
同じではない。
それまでの流れで積み上がっていたものが、
リセットされる。
そして、
また“それっぽく”再構築される。
ここで、
かなり強い違和感が出た。
「さっきまでのこれは、何だったんだ?」
繋がっていると思っていたものが、
実は繋がっていなかった。
ここで、
一つの構造が見えてくる。
- 前提は引き継がれない
- 文脈は保証されない
- それでも会話は成立する
つまり、
“連続しているように見えて、非連続”
これが、
セッションの正体だった。
そして、
ここであの感覚に繋がる。
「気持ち悪い」
内容がおかしいというより、
“繋がっていると思っていたものが、繋がっていなかった”
そのズレだった。
ここで、
ようやく理解した。
これは、
一貫した対話ではない。
その場その場で、
“それっぽく成立しているだけ”の連続だった。
だから、
ズレる。
そして、
ズレても進む。
進んだ先で、
崩れる。
