全部止めたあと、
少しだけ静かになった。
ブログも、
GPTとのやり取りも、
一旦全部切った。
正直、
スッキリしたというより、
空白だった。
それまであったものが、
一気に無くなった感じだった。
でも、
その空白の中で、
一つだけ残っていたものがあった。
違和感の記憶。
何が気持ち悪かったのか。
なぜ止めたのか。
それだけは、
消えなかった。
最初は、
それ以上何もしなかった。
ただ、
少し距離を置いた。
でも、
時間が経つと、
少しずつ、
見え方が変わってきた。
「あれは何だったんだろう」
拒否したままでは、
終わらなかった。
ここで、
もう一度だけ向き合うことにした。
ただし、
やり方は変えた。
前みたいに、
そのまま入り込むのはやめた。
一つ決めた。
「これは道具だ」
まず、
そこを固定した。
理解している存在でも、
答えを持っている存在でもない。
“出力装置”として扱う。
その上で、
もう一度使ってみた。
すると、
見え方が全く違った。
同じように返ってくる。
でも、
受け取り方が変わっていた。
「なるほど」ではなく、
「そういう出し方をするのか」
納得ではなく、
観察に変わった。
ここで、
初めて分かった。
問題は、
GPTじゃなかった。
使い方でもなかった。
“関係の持ち方”だった。
前は、
入り込んでいた。
今は、
少し距離がある。
でも、
完全に切っているわけでもない。
必要なときに使って、
必要なときに離れる。
それだけだった。
ここで、
一つの形ができた。
- 思考は自分で持つ
- 文脈も自分で持つ
- GPTは補助として使う
それだけで、
あの違和感は出なくなった。
完全に消えたわけじゃない。
でも、
扱える範囲に収まった。
ここで、
やっと分かった気がした。
これは、
「使うか使わないか」の話じゃない。
「どう関係を持つか」の話だった。
